女人堂とは?高野山に残る唯一の女人堂と女人禁制の歴史を解説

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高野山にはかつて「女人禁制」の時代があり、女性は山内へ入ることができませんでした。

そのため、高野山の入口付近には女性たちが参拝するための「女人堂」が設けられていました。

現在は不動坂口の女人堂だけが残り、当時の歴史を今に伝えています。

この記事では、高野山生まれの観光バス運転手である私が、女人堂の歴史や見どころ、女人高野との関係について紹介します。

女人堂とは?

女人堂とは、かつて女性が高野山に入ることができなかった時代に、山内へ入れない女性たちが参拝や宿泊をするために設けられた建物です。

高野山の七つの入口には、それぞれ女人堂が建てられていました。

現在では、不動坂口にあった女人堂だけが残されています。

高野山の女人禁制とは

高野山では明治5年(1872年)まで、およそ1,000年にわたり女人禁制が続いていました。

修行道場としての清浄な環境を守るためとされていましたが、女性たちは山内へ入ることができませんでした。

そのため、多くの女性が女人堂で祈りを捧げ、高野山参拝の代わりとしていました。

かつて七つあった女人堂

高野山には、大門口や不動坂口など七つの入口があり、それぞれに女人堂がありました。

女性たちはここで宿泊し、遠くから高野山を拝んだと伝えられています。

現在、当時の姿を残しているのは不動坂口の女人堂だけです。

現在残る唯一の女人堂

現在の女人堂は、高野山の弁天岳登山口付近にあります。

静かな森に囲まれた場所に建ち、当時の面影を感じることができます。

近くには女人道も整備されており、散策を楽しむ人も多く訪れます。

女人高野・慈尊院との関係

高野山の麓にある慈尊院は「女人高野」と呼ばれています。

弘法大師空海は、母・玉依御前のために慈尊院を建立したと伝えられています。

高野山に入れない女性たちは、慈尊院や女人堂で祈りを捧げていました。

慈尊院について詳しく知りたい方は、慈尊院とは?空海と母の絆が伝わる女人高野と九度山の由来を解説もご覧ください。

女人道とは?女人堂を巡る道

女人道とは、高野山の外周を巡る道のことです。

女性たちは山内に入れなかったため、この道を歩きながら高野山を遥拝していました。

現在ではハイキングコースとして人気があり、美しい自然を楽しむことができます。

高野山生まれの私がおすすめする歩き方

私のおすすめは、まず女人堂を参拝し、その後大門へ向かうコースです。

時間があれば弁天岳や女人道を少し歩いてみると、高野山の自然と歴史を感じることができます。

さらに金剛峯寺や奥之院を巡れば、高野山の魅力をより深く味わえます。

まとめ

女人堂は、高野山の女人禁制の歴史を今に伝える貴重な場所です。

かつて七つあった女人堂のうち、現在残るのは不動坂口の女人堂だけです。

慈尊院や女人道とあわせて巡ることで、高野山の歴史と信仰をより深く感じることができるでしょう。

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